キャラ化するニッポンより

パソコンの前にいる「私=アイデンティティ」は、やがてパソコンの中にいる「私=キャラ」へと飲み込まれていくのである。その生活が長く続けば、二つの「私」のヒエラルキーは逆転し、やがて「現実に存在する私」よりも「キャラとしての私」のほうに親近感を覚え、それにアイデンティティさえ感じるようになったとしても不思議ではない。