わたしがわたしでいる限り、どこにもいけない。死にそびれたわたしは十七からどこにもいけない。蝶々の纏足という本があったけれど、わたしは足を折られてあの四月にとどまっている。あのときわたしは本気で祈ったのだ。いちばん強い祈りが死への開放。どんな夢も、どんな欲望も、死を前にするとぜんぶ許せてしまう。誰かにやれてしまう。(ほんと?)髪の毛を思い切り切って、ブログを丸ごと消して、おんなのこたちはかりそめの生まれ変わりをする。でもわたしできない。それぜんぶ嘘だって知ってる。うそでもそうできるおんなのこになりたかった。

きっと歯医者で怒られてしまう。矯正した歯並びが元に戻りつつある。しかしどうしてあんなにもお金をとるのだろう、6000円も毎回とられるなんてつらい。生活するだけでせいいっぱいではないけどそうだったからそうならないために働いているのになあ。どうしてわたしはお顔も歯も頭もぜんぶがちゃぽこに生まれてきて直してお金がかかるのだろう。あ、そうです、六月にほくろを焼きました。へルタースケルターのおばあちゃん先生のようなせんせいが焼いてくれました。レーザーを持ちながら「それにしてもすごい勇気ですよね。自分の顔に傷をつけるんですもんね」わたしは診察台に横たわってお顔に麻酔を打たれてもう逃げられない。

さよならさよならっていままでなんど首を吊ったのだろう。なんど涙をこぼしながらドアノブにかけたストッキングのわっかに首を通したのだろう。そうして、そうして、ちょっとぶらさがって、涙が止まると、明日の準備をして眠る。わたしにはこなさなくてはならない明日があるのでした。死を覚悟するくらいなら、そんな明日なんて放っておけばよいのに。みんなそうやっていうけれど、きちがいは一度レールを外れると、二度と元に戻れないのです。ぼくのおばあちゃんが死んだ日、世界は灰色だったのに、スーパーではお赤飯のおにぎりが売ってあった、という話を大昔、テレビで芸人さんがしていた。あさのいにおみたいでむかつくのに、小さいときからひゃっぺんは思い出してる。

給料のためにお薬を飲み飲みキャンペーンガールなんてしている。家電量販店にいる、レベルの低い、短いワンピースのキャンペーンガール。マイクでにこにこしゃべっていると頭がまっしろになる。ねえ、わたし、不快じゃないですよね。わたしのこと不快じゃないですよね。だからセクハラもナンパもこわくないんです。ほんとはぜんぜんこわくないんです。あなたわたしに欲情し得ますね。かわいいかわいいといわれる。やらせてやらせてといわれる。あまり変わらない気がしてへらへらと笑う。

村上龍ラブ&ポップにでてくるのとおんなじ名前のラブホテルに指輪をわすれる。1000円のおもちゃみたいな指輪。昨日、京都駅で買いなおしたけれどまったく愛着がわかない。そこでそれをなくしたという記憶の方が明らかにうつくしいのだと気づいたのが、いま。

黒目をおおきくするコンタクトは黒目の中の光を殺す。かわいくなるとはそういうことなんですねー。めんめというものはつくづく強いなあと思いながらレンズを剥がす。わたしの見たものたちはここにいて、命をなくし凝縮されていくのだと、机の上でちりちり縮む二つを見つめる。記憶と干物はおんなじつくり。